2009/12/26

スキー場にBGMは要らない

待ちに待った雪です。真っ白な大地、澄んだ空気、小鳥のさえずり、がとても心地よいのです。
リフト降り場からは迅速に離れましょう、雑音(ガンガン鳴り響いている歌謡曲)が折角の自然環境音を台無しにしていますから。
でも、恥ずかしながらユーミンだけは許せてしまうのです。

2009/12/22

皆が自発的に枝打してくれる仕組み

注連縄(しめなわ)が完成したら、今度はお婆さんと一緒に松の枝を獲りに行きましょう。
12月の大安の日には、どの家も松を獲りに行きます。我々はちょいと出遅れてしまったので、枝ぶりの良い松はなかなか見つかりません。下方の枝から獲られてゆくので、背の届く範囲にはもうあまり枝が残っていません。それでも妥協せずに、枝が真っすぐ伸び、葉の豊富に茂った三階松を探します。だいぶ歩いて、納得のいく三階松を収穫。注連縄と会わせ、半紙、蜜柑、昆布、で飾って完成です。

2009/12/21

注連縄を作りながら一年を思う

そろそろ、正月飾りを用意しなくてはなりません。
縁起ものですから、必ず自らの手で作りたいものです。何処で誰が作ったか分からない飾りを買ってきたのでは、ご利益も疑わしいのです。
しかし、近年では材料となる藁の入手が困難になってきました。藁細工の需要がなくなったために、収穫の際にコンバインでそのまま刻んで田に鋤き込んでしまうのです。ですから、材料となる藁は収穫前に農家の方にお願いして、分けてもらいましょう。
注連縄(しめなわ)の作り方は、お爺さんに習いましょう。手のひらを使って、藁に撚りを掛けながら、縄状に仕上げてゆきます。注連縄は家によって様々な形や拘りがありますので、出来れば自分の家の伝統を継承しましょう。もし、伝統が途切れてしまっているようでしたら、自分流に新たな注連縄を創作してみても良いでしょう。ちょっとぐらい不格好だって構いません、自分の手でつくることが大切です。
ほんの一昔前まで、靴、帽子、コート、バスケット、ベビーベッド、、、様々なプロダクトが藁で作られていたことを思うと、文明の進化速度を実感します。

2009/12/14

屠殺・解体に目を背ける者に肉を食す資格は無い

近年、鹿を中心とした獣による農作物被害が深刻な状況となっている。人が大切に育てた食物を獣に横取りされてしまっては、死活問題なのである。過剰繁殖の陰には、天敵の減少による食物連鎖バランスの崩壊や、地球温暖化による動植物生息域の変化、等の理由があるのだろう。
動物を殺めることは、とても心が痛むことである。だが大切な農作物を奪われては自分が生きていけない。したがって、適正な有害鳥獣駆除は避けられないのである。適正な食物連鎖の再生。人間は食物連鎖の頂点に立つ責任を適正に全うしなくてはならない。
しかしながら、「適正」という判断は慎重に下したい。まず、本当に有害な鳥獣であること。次に、駆除した後の鳥獣は、責任を持って解体し、食し、最大限有効に活用すること。決してスポーツ感覚で楽しまないこと。決して商売を目的としないこと。
私は、10年以上肉を口にして来なかったが、近隣の獣達とは積極的に係わり、やむを得ず駆除された獣は食してゆきたいと思う。
*写真は裏山で見つけた、まだ柔らかい熊の糞。

2009/12/10

年の瀬の風景

表参道の街路樹イルミネーションが、11年ぶりに復活したらしい。面出薫氏が行ったあの巨大行燈はなんだったのでしょう?いくら能書をたれたって、木に電灯を飾りつけただけの伝統的イルミネーションの美しさには太刀打ちできなかった、作り手の自己満足。環境的視点で見たって、イベント期間が終わればただのゴミと化す大量の巨大行燈を作るより、元々そこにある木を利用したほうが遥かに優れている。
ところで、木へのダメージ、ゴミ問題等を理由に中止された街路樹イルミネーションが何故突然復活したのか?根本的には、何の問題解決もないままの復活はどうにも解せない。町内会の頑固オヤジが失脚したのか?森ビルが裏工作を施したのか?
HISは幾らのスポンサー料を払ったのか?
きっと、イルミネーションに釣られたカップル達で表参道は賑わうことでしょう。冬でも、灯には虫が集まるのですから

2009/12/06

国立ダイエット図書館

国立国会図書館の民主党本部側には、とても小さなく怪しげな入り口がある。僅か高さ1メートル強のこの入り口はいったい何処へ続くのだろう?国会?首相官邸?核シェルター?
永田町には、埋蔵金だけでなく、まだまだ色々な物事が埋められているのだろう。

2009/11/30

重いものは持ち上げずに転がせばいいんです

親友 アレックス リッチ から展覧会のインヴィテーションが届いた。今回は コンスタンチン グルチッチ がキュレーターを務める展覧会の会場やグラフィックのデザインを ヨルグ レニ(ヘクター) と共に手掛けたようだ。http://www.design-real.com/
ウェブをざっと流し見したところ、いわゆるグッドデザインキュレーション(正直、それほど面白みのないセレクション)なので、見せ方が肝だろう。一点だけ興味深いプロダクトがあった。水タンク。人々が頭の上に水瓶をのせて歩いているアフリカの風景は、近く失われることになるのだろう。社会問題の解決を目的とした正しきプロダクト。目新しい携帯や家電をデザインしてもてはやされている日本の人気デザイナー達とは大違い。残念ながら、近年デザイナーという肩書がどうも胡散臭く感じるようになってしまった。http://www.youtube.com/watch?v=HPCTscerVvI&feature=player_embedded

2009/11/27

牡蠣と柿は同じ季節に旨いので紛らわしいのです

牡蠣の季節ですね。
この時期には、銀座にある三州屋という定食屋の牡蠣フライを食べるのです。この店はなかなか良いのです。ランチ時の混雑は避けなくてはなりません。素朴な家庭料理を肴に一杯。おばちゃん達の素っ気無くかつ温かい接客がまたいいのです。あの客あしらいは、おそらく元ホステスなのではないかと睨んでいます。

2009/11/23

色を配さない空間はカラーで撮影してもモノクロ写真のようです

今年の秋は、100% DESIGN TOKYO 内の BLICKFANG ブースのデザインを担当しました。世界的な悪景気の影響で、来日出展クリエーターの数が激減し、規模も予算も大幅に縮小。
どの業界でも同じだと思うが、低予算の仕事というのは、非常に難しい。予算が少ない分、選択肢が狭まる。それを補う為に、様々な工夫や労力が必要とされる。反面、予算の豊富な仕事は楽だ。余計な心配なくベストな選択肢を取ればいい。
今年のブリックファングのブースは、全体を黒く覆って、クリエーターの等身大写真を壁面に配置しただけ。クリエーター自らがその場に立ち、作品のプレゼンテーションを行っている事。アマチュアによるフリーマーケットではなく、プロフェッショナルによるプレゼンテーションである事。この2点を静かに表現した空間。

2009/11/20

大きな鼠さんは、クリスマスキャロルという西洋物語を餌に子供達を狙っているようです

年の瀬の物語といえば、日本では「忠臣蔵」がお決まりです。ってことで、歌舞伎座へ「仮名手本忠臣蔵」を観に行ってきました。
実際の討ち入りのあったのは1701年、その2年後の1703年には既に物語として上演されたというのだから、この事件への注目度が当時より高かったことがうかがえる。その後、今日に至るまで300年以上に渡って、人気が衰えないのだから凄い。映画、小説、テレビドラマ、数え切れぬ程膨大な数の作品が繰り返し作られ、飽きられることなく人気を博してきた。この忠義美談は、日本人の国民性形成に大きく寄与してきたに違いない。

この「仮名手本忠臣蔵」、その名の通り登場人物はすべて仮名で演じられている。江戸幕府がこの実話の上演を禁じた為に、仮名を充てたのだという。当時の歌舞伎が、今日のように保守的な伝統芸能でなく、反体制的な姿勢を有した庶民の文化であった事がうかがえる。

2009/11/15

水族館って結構臭いんですね

天皇陛下御在位20年記念ということで葛西臨海水族園がこっそりと無料開放していたので訪れてみた。(どの動物園や美術館も、何故もっと盛大に告知して祝わないのか?)
谷口吉生という建築家による大仰な近代建築物の中に入ると、展示物は期待に反してしょぼい。水槽の水はどれも濁っているし、換気設備の故障なのか館内は何故かレストランの食べ物の臭いと餌糞の臭いとが入り混じって充満している
。大した工夫も、驚くような希少生物も、無い。唯一印象に残るのは旨そうなマグロが泳いでいたことぐらい。
ご立派な建物に、貧相なコンテンツ。あれじゃまるで、中身の空っぽな二枚目なのである。

2009/11/13

西郷隆盛は知らん顔でお散歩中

上野の森美術館へ「聖地チベット展」を観に出かけた。
中国による侵略によって大部分は、焼かれ、破壊され、盗まれた、という貴重なチベットの文化遺産が、この日本で観られるというのだから逃す手はない。展示されている仏像や仏画は、豊かな色と表情に溢れていて、とても人間らしい。俗っぽささえ感じるのだ。これは、チベット仏教が庶民に根付いている証だろう。お経を覚えていなくたって大丈夫。マニ車なる便利な道具を回せばお経を唱える代わりになるという。これなら子供だってグルグル回せる。中国を経由して日本へ伝わったお偉い仏教文化とは、大きな違いだ。
ところで、一部の人権活動家はこの展覧会に対し強い批難声明を発している。実はこの展覧会、中国が主催しているのだ。チベットを略奪した中国がである。この事実を知ると、確かに複雑な気持ちになる。しかし、これを機にチベット文化に触れ、その悲劇的な歴史を知る(会場では中国による侵略については一切触れられていないのだが)人々が多くいることは、決して悪いことではないと思うのである。

2009/11/09

埃の中から発掘された最先端デザイン

チェコのデザイナー、マキシム ヴェルチョフスキー と久しぶりの再会。
オーストリアの高級シャンデリアメーカー、ロブマイヤーの為に制作した近作はとても興味深い。クリスタルガラスを透過する光で都市の風景を浮かび上がらせるというもの。ロブマイヤーの倉庫を訪れ、雑然と積み上げられたガラスパーツの中から適した形状のパーツを一つ一つ選び出していったという。一つの風景を作り出すのに一週間、全四都市で約一か月を要したというのだから、根気のいる作業だ。完成した作品は実にお見事。ロンドン、ニューヨーク、モスクワ、メディナ、が幻影のように儚い姿を現していた。先日の100% DESIGN TOKYO 会場の片隅で、ロンドンの風景が密やかに展示されていた事に注意深い人は気づいただろう。つまらぬ商業デザインが溢れる中で、一際輝いていた。
倉庫で埃を被ったガラクタのようなパーツ達を、緻密に組み合わせ、巧妙に配置する。それだけで、全く新しい美と価値を創造する。不用意に新たな物を作り出すこと無しに。
チェコの民主化革命、ベルリンの壁崩壊、から20年(まだたった20年)、マキシムを筆頭とした新世代東欧デザイナーの活躍に注目期待したい。
http://designeast.eu/2008/11/09/maxim-velcovsky-studio-qubus-for-lobmeyr/

2009/11/07

殺され肉をえぐり取られた動物達

ガラスケースに収められた狐の死体、狸の死体、てんの死体、いたちの死体、死体、死体、、、。剥製にして飾られる為だけに捕えられ、殺され、肉をえぐり取られた動物達。
寿命を全うして死んだ動物を懐かしむ為につくられる剥製ならまだましだ。今年初めにはかつて上野動物園を賑わせた歴代パンダの死体(剥製)展なんて物凄い企画展もあったし、近年ではペットの猫や犬を剥製にする心優しい飼い主も多いようだ。レーニンや毛沢東も剥製になって国民を喜ばせている。

2009/11/02

仏は宙に浮いてなどいない、この地にしっかりと足をつけている

ダライラマ14世の講演を訪れた。
あの生き仏、ダライラマである。中国によるチベット侵略、大虐殺を生き延び、インドへと亡命したダライラマなのである。とても現実とは思い難い壮絶な運命を生きた本人が、我々と同じこの時代に生きていて、この東京で講演を行っているのである。この現実だけで十分に感慨深い。
客入りは予想に反して少なく、国技館客席の3分の1も埋まっていない。中途半端なアイドルにも及ばない集客力に愕然とさせられた。あのダライラマがこれ程人気が低いとは。
今回の講演は、他の出演者4人とのトーク形式のものであった為に、ダライラマの法談を満喫するには至らぬ消化不良の内容であった。しかし、ダライラマの人となり(天上の仏でなく)をこの目で垣間見れたことだけで、十分に有意義に思える。ダライラマの言葉は極めて科学的であり、人間的であり、現代的であり、現実的であり、理論的であり、常識的であった。決して宗教論を持ち出して煙に巻くことは無かった。
何よりもあの独特の笑いが忘れられない。生き仏の口から頻繁に飛び出す、皮肉交じりの冗談。講演の最後は共演者へのプレゼント授与で締めくくられたのだが(本来こんなことは控室で行ってほしいものだが)、そこで述べられた言葉はダライラマの現実感覚を象徴している。「白いスカーフをプレゼントします。感謝の意を込めてスカーフを贈るというのはインドの古い習慣です。しかしながらこのスカーフは中国で中国人(漢人)によってつくられたものです。イッヒヒヒヒ。そしてそこには中国人には読めない大切な言葉がチベット語で書かれているのです。イッヒヒヒヒヒヒヒ。」
ダライラマから政治的な発言は一言も無かった(許されていないのだろう)。オバマ大統領も鳩山首相も国家元首になった途端、ダライラマとの会談を控えた。両者とも経済大国中国を前にして、良心を押し殺した(オバマはノーベル平和賞を受賞する資格が無い事を自身で十分に認識しているだろう)。来日報道も僅かだけである。しかし、チベットでは今でも深刻な人権侵害が行われている。

http://www.youtube.com/watch?v=P5sWncFiYnA

2009/10/27

甘柿は渋柿に変わる

板長より故郷から届いたという西条柿のお裾分けをもらった。この種の柿は基本的には渋柿だそうだが、渋抜き(容易にできるのだろうか?)されたものは甘くてとても美味しいのである。日本の秋を満喫。
柿は私の大好物。来春より庭に旨い甘柿を植えようと思うのだが、これがちょっと難しい。関東以北(寒冷地)では、せっかくの甘柿樹種も渋柿に変わってしまうというのである。不思議である。聞くところによると、未熟の柿は甘柿でも皆渋く、成熟につれて渋みが抜けて甘くなるそうだ。寒冷地だと渋みが抜けるまでの成熟に至らないから渋柿になってしまうと。では収穫を遅らせれば甘くなるのか?収穫後、しばらく寝かせておけば甘くなるのか?温暖化が進めば甘くなるのか?寒冷地でも甘柿になる種は無いのか?渋柿を渋抜きした方が手っ取り早いのか?
もう少し調査が必要である。

2009/10/25

お役人さんに纏わるよくあるお話

久しぶりに日本科学未来館へ立ち寄ってミルクを一杯。
「我ながらこの空間は良くできている」と自画自賛。かれこれ7年も前の作品ながら、その普遍的なコンセプトはちっとも古ぼけていない。どんな空間なのかは、是非一度訪れてみて下さい。(運営サイドへはノータッチなので、味や価格については残念ながらお勧めは出来ない。)
そういえば、設計時に聞いたこぼれ話しがある。この空間は、もともと自販機コーナー。カフェを作るには自販機を撤去しなくてはならなかったのだが、これが非常に困難を極めた。物理的には、何の障害も無いはずなのだが。一体何が問題なのかと内部関係者に尋ねると、こっそりとその理由を教えてくれた。この科学館(公共施設)にある自販機は、全て政治家マターだという。自販機業者に対して、政治家が個別に利権を与えているというのだ。本当か?何はともあれ、この自販機問題は程なく政治的な解決をみて、このカフェスペース工事に着工出来たのであるが。

2009/10/19

クリスマスケーキの上のイチゴは贅沢なのか?

スルメ烏賊が大きく安くなってきたので、塩辛作り。
肝は外して塩に漬け、皮をむいた身は物干し場へ。肝、身、共に水気をしっかり抜くことが重要。一日置いたら両者を合わせて丁寧に混ぜ合わせる。酒、味醂、唐辛子、胡椒、柚子、で味付けするのが我が家流。5日間程かけてしっかりと味を馴染ませて完成。
こいつを肴に辛口の日本酒を頂くのが至福の時。締めは、炊きたての新米にのせて。
季節の幸をしっかりと頂くこと、食の基本であり、何よりの贅沢。
一方、スーパーでは季節外れのものほど、高値で売られている。高価な物ほど有難がる消費者に支えられているのだから不思議だ。



2009/10/17

仏に至る山

至仏山を登った。尾瀬ヶ原の西側に位置する山。鳩待から一旦山の鼻まで降り、尾瀬ヶ原をちょこっと横目に見ながら登山開始。登山は平日、オフシーズンに限る。蟻の行列のような登山には興味がない。
急斜面、緩斜面、岩場、木道、とバラエティーに富んだ登山コースは整備も行き届いていて気軽に楽しめる。眼下に広がる尾瀬の湿原、それを取り囲む紅葉で覆われた山々。日が射し、雲に覆われ、雨、あっという間に雲は流れ、また日が射す。
尾瀬にある山だけに環境保護活動が徹底しているのだが、どこにでもマナーの悪い人間はいるものだ。周囲の植物を保護する為に、山の鼻からの登山道は狭く設定されており、登りだけの一方通行規制。ところが、ここを下ってくる輩が時々いるのだ。出会った不届き者は全部で四組。老夫婦や家族連れ。親が子連れで規則違反、いったいどんな子に育つのでしょう?後ろめたさを抱いての登山、いったい何が楽しいのでしょう?
私にとっての登山は心を洗う場だ。自分以外に頼るものの無い状態で自然(人の手は入っているものの、多くの登山客が毎年遭難する程度には十分に雄大な自然が残されている)と向かい合う。そこでは、お金も地位も価値を失う。人間によって作り出された社会システムから解放される束の間。裸の自分と向かい合う時間。

2009/10/10

黒柳徹子とアグネスチャンは似て異なる

近年、日本ユニセフ協会から募金を募るダイレクトメールが頻繁に届くようになった。自らの意思でユニセフへの個人情報提供を行った覚えは無いのに。
この日本ユニセフ協会(看板娘アグネスチャンは、ユニセフ国内委員会大使)、年間180億円程の募金(非課税)を集めるという。その内、ユニセフ本部へと渡る募金は約80%。残り約20%(36億円)もの金額は活動費という名目で日本ユニセフ協会で使われているようだ。一方、ユニセフ国際親善大使である黒柳徹子の開設する個人口座への募金は、100%ユニセフ本部へ届けられるらしい。
その使用用途を明確に伝えずに、募金の呼びかけを行っている日本ユニセフ協会の姿勢には大いなる疑問を抱く。予期せぬ目的の為に、皆の良心の募金が使用されてしまうのだから。
ちなみに、2001年には、26億円(募金で集められた貴重なお金)を投じて高輪に「ユニセフハウス」なる立派なビルが建設された。これは募金者の意志に適うことなのだろうか?
有意義な募金を行う為には、知名度や謳い文句に流されることなく、信頼の出来る機関、自らの意志に適した機関、を慎重に選ばなくてはならない。

2009/10/05

中身があれば派手な衣装はいらない

ジェニーホルツァー の ネイチャーウォーク という作品を訪れた。
山の中に無造作に置かれた石達。苔が生え、落ち葉に埋もれ、完全に自然と一体化している。何も知らない人にとってはただの石ころ、意志をもって観る人にだけその作品は姿を現す。これぞ自然の中に設置するに相応しい作品である。表層的な形状に頼らず、言葉の力だけで語りかける。知的で奥ゆかしいホルツァー作品。
対照的に、草間弥生の昨今の屋外作品は、なんて下品で身勝手なのだろう。自然景観を台無しにして自己主張をする。あんな醜悪な作品が、各地に設置されていることを思うとゾッとする。さらに、その作品にしばしば税金が投じられていることを思うと気持ちは穏やかでない。この手の、セルフプロデュースに長けた、公共プロジェクト御用達(&代理店御用達)のアーティスト?を、有名だというだけで盲目的に有難がるのはやめましょう、お役人さん。

2009/10/01

象は亀を食べる

稲穂が頭を垂れ収穫の季節になると、冷たい秋風に田を追われたカメムシ達が人の家へと侵入してくるのです。
刺激を与えると強烈な悪臭(半日は臭いがとれない)を放つカメムシ。手でつかんでも、棒で突いても、その悪臭(パクチーに似て美味しそうな臭いだという変わり者もいるが)を逃れることは出来ない。
そんな厄介なカメムシの撃退法をタイプ別に3つご紹介しましょう。①都会派の皆様には、ガムテープ作戦がお勧めです。5センチ程の長さに切ったガムテープ(クラフト紙製)をカメムシの背中にペタリ。ガムテープ粘着面の中心で優しくカメムシを捕えます。カメムシは何が起きたのか分からず、臭いを出すのも忘れて戸惑います。そこを手早くガムテープを斜め半分に折り(美しい二等辺三角形のワンタン状が理想的です)にし、隙間の無いようカメムシを密閉します。これでOK。ゴミ箱へ。②カメムシ発生量の多いカントリー派の皆様には、小瓶作戦。栄養ドリンク等の蓋付き小瓶を用意します。カメムシに静かに近づき、手早く一気に瓶の口でカメムシを捕えます。カメムシが瓶の中に落ちるやいなや蓋を閉じ、臭いを封じ込めます。思い切りの良さが大切です。カメムシで瓶が一杯になった暁の達成感はなかなかのものです。③殺生は出来ぬという、心優しい友愛派の皆様には、天敵作戦です。ゾウムシを沢山捕獲し、ペットとして愛情を注いで飼育しましょう。まずは、餌を与えずに少しダイエットしてもらいます。ダイエットもそろそろきつそうだなという表情が見て取れたら、家の中に放ってあげましょう。体の軽くなったゾウムシは、家の中をゆっくりと(まさに象のように)歩き回り、じわじわと仕事をしてくれます。でも、その仕事ぶりは決して見てはいけません。そうこうしているうちに段々とカメムシが減ってゆくでしょう。もし、ミイラ化したカメムシが落ちていたら庭先に埋めて供養してあげましょう。

2009/09/28

歴史に耐え得る(ぼかすに価する)もの作り、もの選び、を大切にしたい

今、出来る大人の男の間で、白髪ぼかしが流行だ。
一般にネガティブに捉えられる要素を、ぼかすことによりポジティブに転換する。なんと繊細で前向きな方法論なのだろう。白髪頭じゃ爺さん丸出し、黒く染めては違和感ありすぎ、白髪ぼかしでチョイ悪オヤジ(*素敵な中年男性の意)ってことだ。カツラを捨てて禿げぼかし、ダイエットやめて肥満ぼかし、脱毛やめて無駄毛ぼかし、プチ整形やめて一重ぼかし、シークレットブーツを脱いで低背ぼかし、、、。素の自分を隠すのでなく、魅力的に見せる工夫を凝らすこと、それが大切だ。
身の回りのプロダクト、インテリア、建築、、、でも同様の発想が浸透するといい。古くなった、プロダクトを捨てるのでなく、インテリアを全面リフォームするのでなく、建物を壊すのでなく、少しだけ手を加えて(ぼかして)歴史を経た古いものならではの魅力を引き出す。そうありたいものだ。


2009/09/26

最高裁の大法廷は、年に2~3回しか使用されない

最高裁判所を見学した。
付近を通る度にその威圧感が気になってしょうがなかった建物に、初めて足を踏み入れた。公開コンペでゼネコンの建築士が勝ち取ったデザイン。この建築士の属すゼネコンが施工も行っている。建築費は74年当時で126億円。コンクリート製に見えた外壁は、実は重厚な御影石(花崗岩)。建築費の大半は、この石工事に費やされた。天然石を用いて自然と人との共生を表現したという。
なんて馬鹿げているのだろう!これだけの量の採石に、どれだけの自然が切り崩されたのか?運送にどれだけのエネルギーを要したのか?どれだけの排気ガスが排出されたのか?税金がこのようなバカげた装飾の為に投じられていいのか?こんな威圧的な建物の中で、人が心を開くことができるのか、平常心を保つことができるのか?
公共の建造物は、質素であってほしい。そこに無駄なお金は一円だって投じてはいけない。古い建物を修理しながら大切に使った方がいい。時代遅れのオフィスビルだって、廃校だって、構わない。その謙虚な姿勢にこそ本物の権威が宿るはずだ。表面的に権威を誇示する必要などない。

2009/09/24

全自動スタンディングバー*場当りデザイン*

有楽町のガード下にあるオープンスタイルのスタンディングバー。
サラリーマンスタイルで決めたトレンドリーダー達が集うスポットだ。ドリンク販売は、多数設置された機械により完全に自動化されている。接客サービスの排除により実現された価格設定(市販価格よりわずか数十円高いだけ)は良心的だ。好きなドリンクを購入し、ラッシュアワーを横目に最高の一杯を楽しめる。小腹が空いた方は、自販機の隙間、一歩奥まった壁にひっそりと空いた小さな窓口までどうぞ(レトロ調な裸電球が目印)、鯖の味噌缶をはじめとする清潔な量産スナック類が楽しめる。出処不明のモツ煮や焼き鳥とちがい格段に安心だ。
作意的につくられた近年流行りの立ち飲み屋には決して出せない大人の哀愁が漂う。
俗っぽい若者達には立ち入って欲しくない風景。

2009/09/19

肘掛付きスツール*偶然のデザイン*

「せっつぁば」という言葉をご存じだろうか?家族が食べる野菜を育てる為の台所に隣接した小さな畑、のことをこう呼ぶ。自分達で食べる物を自分たちで育てる場所。都会では冷蔵庫の野菜室にとって代わられた場所である。家庭菜園のような趣味的なイメージではなく、食事を作る為に本当に必要な台所や冷蔵庫の延長線上にあるものだ。新鮮で安全な季節の幸を食す為に、皆さまにもこの「せっつぁば」を持つことを推奨したい。
私のせっつぁば奥にあるブロック塀はブロックが一つ抜け落ちてしまっている。ここ、セバスチャンお気に入りの肘掛付きスツールである。うっかり居眠りをして
後ろに落ちてしまうこともある。

2009/09/17

東京のど真ん中に大きな公園があればいいな

新内閣の閣僚たちより一歩早く皇居へ。
東京のど真ん中にあるこの広大な旧徳川幕府の敷地は、今では天皇家に占拠されている。この敷地を、自然公園にでもして国民に解放したら、どれだけ国民が豊かになるだろう。国民の税金で維持管理運営されている敷地なのだから。
広大な敷地は体験
農園やピクニック場に、大きな建物達は美術館や博物館に、夏にはお濠で水浴び、なんてことになったら嬉しい。
天皇家の人々には、もう少し小さな敷地で質素にお暮らし頂けないのだろうか?お金が必要であれば、チャールズ皇太子のようにオーガニックフードビジネスでもして頂けないだろうか?国民は皆一生懸命働いて貴方達の生活を支えているのですから。
公務を務められない皇太子妃の存在する現在、天皇家によって日本国民が受けている恩恵と支払っている負担、どちらがどれだけ大きいのか再検証すべき時期ではないだろうか?

彼らに環境問題を語る資格があるのだろうか?

議員会館の前を通り過ぎ、2分ほどで首相官邸へ。
この距離を政治家達は、運転手付きの黒塗り車で乗りつけるというのだから気が知れない。何の為に、無駄なエネルギーや経費を使っているのだろうか?

*ところで、私が何故こんな物好きな野次馬じみたことをしているかの説明をしておきます。私はテレビを一切見ない、新聞も一切読まない、ことにしています。真実を見るには、自分の肌で感じ、自分の頭で考える必要があると思っているのです。

議員会館は良い香り

昨日は新内閣発足にあわせて、永田町散歩。
まずは、国会へ。参議院見物の後、国会裏手へ回ると、議員会館周辺は黒塗りの車と軽トラが渋滞を成していた。このエリアに黒塗り車は違和感が無い。だが何故、軽トラが車列を成しているのか?その真相は、すぐに私の敏感な鼻が嗅ぎつけた。これらの軽トラはすべて花屋であったのだ。荷台には高価な胡蝶蘭がギッシリと積まれていた。お祝いの(合法的)貢物だ。いくら素敵であっても安物の花なんて送ったら逆効果。胡蝶蘭以外は決していけません。
それにしても政治家には黒塗り高級車と胡蝶蘭がとても良く似合う。そんな中、長妻昭の行動に興味を引かれた。昨日、徒歩で(異例の!?)官邸入りしたというのだ。歩いてたった2-3分。この人物、「普通に正しい事」が出来るのだ。しかも今朝の初登庁時には、通例になっている花束贈呈儀式を断ったという。良い感じだ。

2009/09/15

使った楊枝は食べてしまおう

ソバ屋で爪楊枝を使おうとして袋を開けたら、一見プラスティックのような半透明の目新しいものが出てきた。パッケージを見ると、「地球にやさしいつまようじ」「でんぷん100%スマイルようじ」と書いてある。どうやら、森林伐採爪楊枝ではなく、何かのデンプン質を固めたもののようだ。
疑い半分で、咥えてみるとシットリとして口当たりがいい。歯当たりも滑らかで、歯間に滑り込むようだ。柔軟性にも富んでいて折れるような気配もない。これは気に入った。
しかし、地球にやさしいと謳いながら、何故一本づつ紙袋に入れるなどというバカげた過剰包装をしてしまったのか?
宣伝文句でしかない流行りの「エコ商法」の臭いがする。

2009/09/13

古くて汚い生ビールにはご注意

何も考えずに「とりあえず生」って人が多い。「生」って呼称故にフレッシュで旨いものと思い込み、味わいもせずに「旨い」なんて言っているバカ者達が多い。日本では生ビールと呼ばれているが、「生」の意味する根拠が分からない。実際には、ただの業務用金樽入りビールでしかない。英語では「タップビール=蛇口ビール」でしかないのだ。
私は基本的には瓶ビール党である。生ビール(金樽ビール)は、ビール会社の管理が徹底された直営店舗でしか飲まないようにしている。中途半端な店の生ビール(金樽ビール)程、不味くて不衛生なものはないからである。金樽を開けてから何日も経て古くなったビール、ろくに洗浄をしていないホースやサーバー。妙な味がしたり、鉄臭かったり。
銀座7丁目ライオンの生ビールはさすがに旨い。名人、海老原氏のいることで有名な店だ。海老原氏曰く、「旨いビールを注ぐコツは、①適正な仕入と在庫管理。②適正な条件での保存。③サーバーの徹底洗浄。④樽内の残ビール量とガス圧との適正バランス。⑤グラスの衛星管理。」だというのだから、信頼に足るのである。創業110年の歴史あるこのビアホールは、内装の雰囲気も抜群であり、私は祖父の時代から3世代で、清潔なビールを楽しませて頂いている。

2009/09/11

塩を振りすぎた枝豆は口元五ミリ辺りから飛ばして食べよう

夏も終わりに近づき、我が家の枝豆がようやく収穫期です。
枝豆のように皮ごと口に入れる野菜は、自家製ならではの安心感が特に大きい。あまりにも鮮やかな色をした冷凍枝豆にはちょっと手がでないのは私だけではないでしょう。
ところで、枝豆が大豆だということを知らぬ人が以外と多いのでは?硬い豆になる前の若い状態で食べるのが枝豆です。
この枝豆、昨今の日本ブームで海外の洒落者の間でも人気が出てきているようですが、確かに洒落度が高い食べ物だと思います。
①従来硬くなってから収穫していた豆を若取りする。②茹でた後、皮に塩を少量振りかけ、皮ごと口に入れてしまう。③皮ごと食べると思いきや、皮は食べない。④皮から豆を小気味良く飛び出させて、豆だけを口に収める。⑤口に残った適度な塩分と豆とを一緒に食す。
外国人の前では、ことさら気どって、無駄のない、手早い仕草で、美しく、枝豆を食すことをお勧めします。

2009/09/10

十三名様お帰りです

タレルの「光の館」をようやく訪れた。一度宿泊をしてみたいと思いながらも機会を逃していた場所だ。
金持ち収集家や投資家の為でなく、一般庶民の為の作品として作られ実際に使われていることを称賛したい。作品の中で、飯を喰らい、酒を飲み、糞を垂らし、垢を落とし、鼾をかくことが出来るとは、なんと素晴らしいのだろう。
美術館に物物しく鎮座し、著名であるが故に有難がられる作品とは一線を画している。作品の中で長時間を過ごし生活を営むことにより、有難き冠は取り払われ、素でその作品と接することができるのである。
このような、アートとデザインとの境界領域にある作品(愛称デザート)こそ、生きた芸術だと思うのである。

2009/09/08

庭先のトマトは傘をさす*場当りデザイン*

トマトに雨は大敵。雨に当たったトマトは割れてしまうのです。また湿気はカビや病気の原因となります。
そもそも南米の乾燥したエリアが原産地ですから、このジメジメとした日本の気候に合うはずがないのです。無理して育てる為に、日本では一般にビニールハウス栽培が行われています。交配を繰り返して、大きく甘く多産になった日本のトマトは、屋外では育たないのです
個人が家で食べるには、古くなった傘をさしてやれば十分。田舎の民家先で見かける傘をさしたトマト達は、「即興デザイン」精神(=身の回りの物を用いて、その特性を生かした新たな機能を創造すること。この手の愛すべきデザインをセバスチャンはこう呼びます。)
に溢れていてとても愛らしいのです。
クリストが長閑な田園風景に立てた黄色い傘とは大違いです。

2009/09/04

中身は大変熱くなっておりますのでご注意下さい

某ファストフード店が凄いキャンペーンを行っていた。
幼児をキャラクターで釣り、若者の味覚を破壊し、世界の風景を台無しにするこの手の店には普段決して足を向けない。しかし本日はつい足を止めてしまった。なんと巨大なカップコーヒーに首まで浸かった女性が道端で呼び込みをしているのだ。ほぼ五右衛門風呂状態。
このコーヒー、なんと無料ということなので、遠慮なく被らせて頂いた。長身のため手足が突き抜けてしまったが、上半身はなんとかすっぽりと収める事が出来た。とても温かくて、しかも軽くて、なかなか快適。さらに緩衝パットがたっぷり入っているので安全性も高そうだ。これは、寒い冬には大ヒットしてしまうかもしれない。

2009/09/03

庭園美術館の椅子も実に頭が低い

カンテサンスという現代フレンチレストランで食事をしたら、先日我が家で収穫したトウモロコシと同じ「恵味」という品種を使った料理が一品目に季節の前菜として供された。甘くて濃厚な冷スープと皮に包んで焼いたトウモロコシ小ちまき。旨いは旨いのだが、やはり採りたて生かじりには到底敵わない。前皿3品+主皿2品+後皿2品、どれも普通でなく実験的な料理であった。様々な工夫は見てとれるものの、完成の域には達していないものも多かった。
しかし、食事は味だけで完成するものではない。内装・家具・食器・空調・音・周囲の客・従業員のサービスや会話、そのすべてが食事を左右する。この店のスタッフは皆若く気どりも無く、好感度が高い。白紙のメニューから始まり、水、ワイン、調味料、食材、調理法に至るまで、実に丁寧に(やや長いものもあり)楽しく説明をしてくれる。内装や家具の気取り具合も嫌味でない程度に抑えてありOK。最後には三つ星シェフがご丁寧に出口まで見送るという徹底した姿勢には関心だ。味に対する不満なんて大したことではない、実に楽しく心地よい時間を満喫させてもらった。
帰りには庭園美術館を腹ごなしに散歩。ここの椅子達もまた実に頭が低く、皆両手をついて迎えてくれた。

2009/08/28

日本の農作物は世界一美しい姿をしている

トウモロコシが持て余す程の豊作なので、出荷することにした。夜明けと共に収穫を始め、切り揃え、選り分け、箱詰め、倉庫入れまでを午前中に終わらせる。今年は大量生産地北海道が不作なそうで、なかなか良い値で引き取ってもらえた。ラッキー!
農作物の輸入自由化がようやく実現の見込みが出てきた。個人商店や中小工場が苦しんでいるこのご時世に、農家だけは輸入障壁によって保護さられていることがそもそもおかしい。農協が握っている票が大きいということだろう。

自由貿易、自由競争、の実現を望みたい。海外の農家が作った作物にだけ過大な税金をかけるのは不平等ではないか?海外の農家には、日本の農家よりもはるかに貧しい人々がいるのに。
人間が生きるために必要な食物が安くなることはいいことだ。 貧しい人々の食物に税金(消費税さえ)をかける必要は無い。その分、タバコや酒等の嗜好品の税率をもっと上げればいい。 僕は地産地消という思想には賛成だ。さらには自給自足を推奨したい。しかしながら、大前提として、世界的な視野で人々が公平であってほしい。日本に限らず世界規模で貿易の自由化が実現されることを望む。

2009/08/27

世襲制は質の向上を妨げる

久々に歌舞伎座へ出かけた。昼食前にサクッと一幕観賞。
世襲制の値強い歌舞伎界の自己批判ともとれる「天保遊侠録」という演目だ。「なりこまや!」。
財産・階級の相続から生まれる不平等。現代資本主義社会が未だ抱える大いなる問題。資産相続の禁止と平等なる分配、こんな簡単なことが何故実現出来ないのか?何
故、皆黙っているのか?皆が同条件で同じスタート地点から人生を始められなくば、公平な競争社会が成り立たないことは明らかなのに。
残念ながら、この不平等社会で利を得ている権力者・資産家が、自主的にこの利権を放棄することは望めない。声をあげろ!
来年、歌舞伎座が高層ビルへと改築されるそうだ。風情が失われる前に、気になる演目へは積極的に足を運ぼうと思う。

2009/08/23

幼い演奏家

GOLDMUNDのライブへ出かけた。会場は池袋の自由学園明日館講堂。フランクロイドライトとその弟子遠藤新による建築物だそうだ。風情良し、空調バッチリ(屋外トイレまでエアコン完備)、音響悪し。
かなり緊張した面持ちでGOLDMUNDことKEITH KENIFF登場。MCは全く無く、まるで発表会で演奏する少年のように朴訥と鍵盤を叩いてゆく。パソコンのキーボードを叩いているかのように無感情な演奏が淡々と進む。1-3分の短かな曲が終わる度に、引き攣った笑顔で会釈。会場の音響設備・遮音性が悪い為、ピアノ演奏の背景には、蝉やコオロギの鳴き声、バイク滑走音、若者が立ち話する声、が広がる。音数の少ない楽曲だけに、その行間を雑音で埋められては台無しだ。
想像するに、演奏力もスター性も無い少年が、成り行きで無理矢理ステージに引っ張り出されてしまったのだろう。ひいき目に見れば微笑ましいのだが、平に見ると入場料を取るには未熟すぎる。CDには十分にその価値はあるだけに、残念。

2009/08/11

黒い肌には金が良く似合う

ジェニファー(写真)というドイツ人が尋ねてきた。彼女は、来日するたびに必ずトリコへ顔を出してくれる旧友だ。ピンボケ写真では分からないだろうが、前歯に入った金歯がチャーミング。
ジェニファーは、ブリックファングというデザインイベントのチーフプロデューサー。今回の来日は、この秋のブリックファング東京の打ち合わせを口実に、どうやら婚約者との東京見物を楽しんでいるようだ。この不景気で、今年の東京開催は危ういものと予想していたが、規模を大幅に縮小しながらも、何かを行いたい意向とのこと。去年に引き続きトリコデザアイン研究所が会場デザインを担当することになる。さあ、限られた条件の中でどんなスペースにするか、9月頃からバタバタと考えましょう。

ブリックファングという デザインイベントは、ドイツ・スイス・オーストリアで行われている。「デザイン」を売りにしたお高い(お堅い)デザインイベントではなく、庶民を巻き込んだお祭り状態。現地では、土曜のポートベローや年末のアメ横、のように活気に溢れたイベントだ。

2009/08/09

分解してその本質を知る

昨夜のここ湾岸エリアは花火大会で大騒ぎでしたが、そんなこと興味ないので喧騒をよそに大好きなプロダクトを分解。手前の明るい色が普通の木製洗濯バサミ を分解したコイルバネ、中央の暗い色が「ハンガーペグ」というプロダクトを分解したコイルバネ。奥に見えるのが木部です(木部は二者とも全く同じ)。
二者の違い:①ご覧の通り、奥のコイルバネはバネがそのまま延長されてフック状になっているのです。②手前はアルミ製、奥はより硬い鉄素材を塗装。③手前に比して奥のバネは太い。
この違いによってどうなったのか:①物を挟んでそのまま吊るせるようになった。②バネの強度が増し、より強くしっかりと物を掴む事ができるようになった。
小さなプラスワンアイデアで、画期的に用途が広がっているのです。これぞ美しきデザイン。木製洗濯バサミ自体の完成された機能美を損ねることなく、さらにその美しさを発展させているのです。デザインしたのは素朴なドイツ人、ウォルフガン・シャップというデザイナー。10年程前に一度話す機会があったが、素朴で堅実な好人物でした。正にこのプロダクトと一致する印象を持ったことを覚えている。
メーカー閉鎖により生産中止となっていたが、この度トリコによる復刻が実現した。プロダクトは日常使いしてこそ価値がある。300円という安価で再発売できることがとても嬉しい。分解して、組み立てて、ひっくり返して、立てて、叩いて、引っぱって、挟んで、吊り下げて、「うーん」なんて頷いたり。

2009/08/06

味良し、話良し

昨日は通りがかりに銀座の三亀という和食屋で昼食をとった。がらんとした店のカウンターには店主と常連らしき老婆。どうやらこの老婆は女医らしく、興味深い治療エピソードを次から次へと大声で話したてる。「落とした指を繋ぎに来たやくざ」「病室の棚をレミーマルタンでぎっしり詰めた親分」「新型インフル集団感染が発生しながら未公開の近隣中学校」 「急性アルコール中毒の即効治療法」「担ぎ込まれる麻薬中毒者達」「河豚の毒抽出法」、、、。
石川では危険な河豚の卵巣を糠漬けにして食べるが、なぜ毒が抜けるか?老婆曰く高塩分の糠に数年漬け込むと、毒が水分と共に抜け出すとのこと。河豚免許を持つ店主も、河豚の毒は水溶性であり、水に容易に溶けると同意。すると魚を焼いていた老職人がポツリ、「いや、あれは蔵に住む特殊な菌が毒を中和するんですよ。しかもその菌の住む蔵は日本に一つしかないんです。」。この言葉は、僕の耳にしか入らなかったようで、2人の会話は毒の採取法へとエスカレートしていった。
カマス焼き、カレイの刺身、ナスの炊き上げ、老婆の武勇伝。質のいい定食でした。
写真は食後に近くの陶器屋で購入した箸置き。青虫でも、枝豆でもありません。松です。

2009/08/04

違いの分からない大人たち(実体験と擬似体験/本物と偽物)

拓いた土地にテントを張って泊まってみた。まず、新調したテントの構造美に感心。取説不要、ほぼ自動的(+少しの感覚的な作業)に組みあがってしまう簡易構造物。代々木体育館と同様の吊構造のテント。このモンベルのムーンライト、惚れ惚れするプロダクトだ。
テントを張ったら、トイレを堀り、水源から水を調達、野草を採取。獣避け&調理の為に火を起こし、米を炊き、ディナー。一杯引っかけているうちに日が暮れてきたので就寝。
キャンプ場という人工的な環境(自然を破壊して整備管理された施設)で、自然を満喫しているという大人がいる。ディズニーランドでおとぎの世界に浸る純粋無垢な子供達のように。
*自然の中で無許可でのキャンプは禁じられています。まず自然環境を良く知り、地元の人を知り、許可をもらい、環境への配慮を十分に払いながらキャンプをしましょう。

2009/08/02

大地を拓く

本日はミニユンボを駆り出して、地中に張り巡ったクズやカヤの根を根こそぎ排除です。このクズの根は、葛切りや葛餅の原料となるのだが、他の植物にとってはだだの雑草。地中に張り巡った根をユンボで断ち切り、掘り起こします。一日かけて掘り出した根は、高さ2メートル以上の小山の量に達した。少し持ち帰って葛餅にでもして食べてしまおう。残りは地元の猪にプレゼント。

2009/07/31

人工物は朽ちて自然に馴染む

川俣正の「松之山プロジェクト東屋」という作品を観た。この作品は「キョロロ」という名の子供向け科学館の裏山に点在する。2003年につくられたというこの東屋達に、有難い芸術作品の面影は無い。波板は割れ、木材は腐り、木道は朽ち、すっかり森の風景に馴染んでいる。まるで、代々木公園内に乱立するホームレス住宅のような様相だ。
感心した事にこの東屋、今では科学館の物置やゴミ置き場という実用品として新たな役割を獲得しているのだ。

投資対象として過剰に持て囃される芸術作品が多い中、とても清々しい気持ちにさせられる風景である。

2009/07/30

器に負けた料理人

ボルタンスキー「最後の教室」という作品を観た。廃校という過去の記憶の染み付いた、死のイメージ漂う、展示空間。ボルタンスキーにはうってつけだ。
古い廃校、それだけで十分な雰囲気と歴史を持つ実在空間。この中に構築されたボルタンスキーの今作品には、演出の安易さ(田舎の老人子供に対する過剰サービス?)が否めず、安っぽさが浮き立っていた。心拍音やプロジェクション映像等といた使い古された手法は用いずに、もっとずっしりと重いものを持ち込むことが出来たのではないだろうか。空間に負けない重みを

まるで、大好きなロックミュージシャンが来日公演で手を抜いた演奏をするのを目の当たりにしたような気持ちです。残念。
*ボルタンスキーは、セバスチャンの敬愛する現代芸術家の一人です。

2009/07/27

ご老体復活、まだまだ活躍してもらいましょう

トリコ創立メンバー復活!蓄電技術の目覚しい進歩のあったこの十年、最新の電動アシスト自転車がどこまで進歩したのかは知らない。ただ、デザイン的には退化したように見える。(最近サンヨーが発表したエネループバイクというものの写真を見たが、2流家電屋のつくった自転車らしく極めて醜い。)ともあれ主婦層からの圧倒的支持を受けて電動アシスト自転車は好調に売れており、近年では原付バイクの出荷台数を超えているそうだ。
何はともあれ、化石燃料から電気エネルギーへの移行、いいことです。自転車ブーム、ジョギングブーム、大賛成。

2009/07/26

保守期限の無期限化を望む、環境の為に

車体の錆びを落とし、劣化したタイヤを交換、破れたサドルも交換、最後に充電池を交換。ホンダが生産中止して既に10年近く経つので、交換部品の供給も絶たれる可能性が出てきた。生命線であるこの充電池の供給が絶たれては絶望的。我が愛車はただのゴミと化してしまう。物を作った以上、保守部品の供給期限等設けずにいつまでも保守対応をしてもらいたいものだ。この手の環境配慮商品が、生産中止となり保守期限切れでゴミと化すことには、大いなる疑問を呈したい。

トリコ創立メンバー、復活へ

13年前のトリコ立ち上げ当初から大活躍していた愛車ラクーンコンポ。トリコの創立メンバーの一人とも言える存在。原宿、青山、渋谷、代官山、中目黒、六本木、新宿、と坂道をものともせず、打ち合わせや納品に駈けずり回っていた大切な脚(仲間)です。当時ホンダが挑戦した新モビリティーライフコンセプト、「手軽に運んで楽しく走る」実現のためにステップワゴンへの積載を前提に開発された折りたたみ式電動アシスト自転車。ドッシリとした腹部にスッキリとした前後半身というメリハリの利いた機能形状と、混雑した都内での取り回しの良さ。東京核心生活にとって革新的な道具でした。しかり、トリコが湾岸へ移転してから乗る機会が減り、気がついたら潮風に吹かれて錆び錆びの状態。メンテナンスして復活させてあげなくてはいけません。

2009/07/24

もの創りの基本は料理で学べ

ダニエルチャーニー(RCAチューターの他、DESIGN MUSEUMのディレクションやキュレーションを手掛ける)とディー(ロンドンサイエンスミュージアムのキュレーターを退き、現在フリーランスで活躍中)と共に、もんじゃ焼き。2人は今年のミラノではブリティッシュカウンシルで例年行われていた作品展示に代わる新プロジェクトをオーガナイズ。ウェブ上に投稿型の情報サイトを立ち上げ、抜粋速報を毎朝印刷して自転車隊に配布させた。今回は、京都での講演と直島視察のついでに、もんじゃを料理してもらった。店員顔負けの腕前。