2010/12/18

日本の床とスペインの床

日本の伝統を尊重するばかりが良いとも限りません。現代の生活には、世界中の様々な文化(西欧、東欧、中近東、アジア、米、、、)が混在しています。それぞれのいいとこを積極的に取り入れたライフスタイルが一番自然だと思うのです。ただし、そのミックス加減には大いなる拘りと細心の注意が必要です。(概して日本人の家は、物欲に任せて買い集められた物に溢れた、醜い雑多な空間になっています。)
さて、浮造りの木床(国産杉)では問題の生じる場所は、くり抜いて別の素材(スペイン産テラコッタ)を敷いたのです。
まず、仕上りが平らになるよう下地の高さを調整します。テラコッタに強力接着剤を塗って均等に貼り付けます。目地材を練り上げて、目地を入れます。周囲にはみ出した余分な目地を水を含ませたスポンジで洗い取ります。
火に強く、汚れを洗い落とせる床の完成です。後日、この床の上に薪ストーブを設置します。横には薪を数束積み上げておきます。
これで、薪をくべる際に灰がこぼれても安心、ストーブ上の鍋が噴きこぼれても安心なのです。

2010/12/14

現代音楽は何年でクラッシックになるのか?

今日はピエール・ロラン・エマールのコンサートへ。現代音楽の鍵盤弾きといえばこの人なのです。
プログラムには、バルトーク、リスト、メシアン、リスト、リスト、ラヴェルと並ぶ。どの曲も刺激的な演奏。中でもメシアンの「鳥のカタログ」は圧巻、さすが10代でメシアンコンクール優勝を果たしたメシアン弾きである。高く上げた椅子に浅く腰かけ、背筋を伸ばして、膝を閉じ、紳士然とした姿勢。しかし、手はまるで別の生き物。まさに鳥のように自由に、歩きまわり、走り、羽ばたき、飛び、さえずり、がなる。
最後にラヴェルの「鏡(全五曲)」の演奏でプログラムは終わったが、拍手は止まない。何度か出入りした後、クルターグ。嬉しい選曲。演奏が終わって、拍手に応えてまた何度かの出入りを繰り返した後、今度はバートウィスル。知らない曲ながら素晴らしい。2曲が終わって感謝の拍手。またまた出入りを繰り返した後、楽譜を持って再々々登場して、ブーレーズ。最高!一層の感謝の意を込めて拍手。さらに出入りを繰り返した後、まさかのベンジャミン。凄い!これでアンコール4曲。さすがに終わりか?もしかしてもう一回?と思いながら拍手。出入りを繰り返した後、なんとまた楽譜を持って登場。奇跡のメシアン。拍手拍手で手が痛くなる。また形式的な出入り。いい加減客席照明もつくだろうと思いきや、信じられないことに6曲目はカーター。さらに拍手&出入り。もう一曲来い!との願ったら叶って、7曲目にシェーンベルグ。大満足の大喝采。最後に大きなお辞儀をして、ついに照明が明るくなったのです。ブラボー!メルシー!
最高のコンサートであったのですが、客入りは7割程度。かなりの空席が目立ったのです。現代音楽を愛する人は予想以上に少ないようです。逆に言えば、大多数に支持される音楽は、その時点でもう既に現代音楽ではなく、ポップスまたはクラッシックなのでしょう。

2010/12/06

利休のコンセント*偶然のデザイン*

樹脂製のコンセントフレームを近頃見かけますが、実際に使ってみるとこれは便利。金属フレームのように爪を抉曲げる必要は無く、押し込むだけでコンセントやスイッチをカチッと固定出来るのです。これなら、あの爪の歪みが気にならない。電気の絶縁性もバッチリ。コンセントカバーをつけなくても何の問題もありません。(カバーの醸し出す安い生活感が嫌いなので、カバーは取り付けない主義なのです。そもそも、隠して誤魔化すという発想が嫌いなのです。)
フレームに取り付けるコンセントですが、「利休色」という和室用に作られていると思われる鶯色のものが幾つか手違いで届いたのです。利休色という奇妙な名(考えてみると鶯色というのも奇妙な色名ですが)のこのコンセントですが、取り付けてみると悪くない。グレーのフレームを剥き出しのままにすると、その工業的なイメージと相まって、アーミー調の雰囲気です。気に入ったのです。
コンセントは白と利休色の混在、アンテナ端子と片切りスイッチは白、両切りスイッチはグレー(これも手違い)。手違いによって複数の色が混在してしまいましたが、これは用途毎の使い分けに最適なのです。意匠的にもなかなか面白い。コンセントの色を意図的に使い分けるだけで、実用的な遊び(デザイン)が出来るのです。

2010/12/03

ヨンシーはビヨークになれるか?

氷島の歌姫(?)ヨンシーのライブに行って来たのです。新木場スタジオコーストは好きじゃない(あそこは客を入れすぎるのです)ので、恵比寿ガーデンホールへ。ヨンシーには、凛と張り詰めた寒空が良く似合う。雪で白銀なら尚良いだろう。ところが、今日は12月だというのに夏のように暑い。ヨンシー日和とは言えない。
ニコ・ミュリーが一緒であることをちょこっと期待していたのだが、残念ながらステージにニコの姿はない。ニコ無しの演奏は、並みのロックバンド。ヨンシーの透明な声にあわせて頭をゆっくりと回す、時々目を瞑ってみる
、歯切れの良いリズムで跳ねる。それだけでも十分に楽しい。しかしながら次の機会には是非、小さなオーケストラをバックに従えた演奏を、しっかりと音響設計をされたホールで、座って、聞きたい。
シュガーキューブスから独立したビヨークがメジャーブレークしたように、シガーロスからソロに転じたヨンシーもこれから、もっともっと大きくなるのだろう。ポップさは十分。あとは、マスコミ受けするスキャンダルが必要か?

2010/11/29

エアコンではお湯も湧かない

屋根に上って煙突の取り付け。6寸勾配(横10に対して縦6上る屋根=角度だと31°)の屋根は、結構急なのです。スキー場でいうと超上級コースレベル。これだけの角度があると、雪が自然に落下するのです。
もう足場は外してしまったので、屋根の端に長梯子をかけて恐る恐る登ります。梯子から屋根に乗り移り(ここが一番恐ろしい)、足首をしっかり曲げて(これはスノーボードと同じですね)斜面を慎重に登り、頂点に辿りついて一安心。落ち着いて周囲を見渡すとなんて爽快なんでしょう。子供の頃のようなわくわく感。
屋根を敷く時に一緒に敷きこんだフラッシング(円錐形の金物)から煙突を出します。防水カパーを繋ぎ目に被せて、耐火パテでシーリング。時々足を滑らせながらも、煙突にしがみついて、なんとか作業を完了。
日本では、暖炉や薪ストーブの文化は一般には根付いていません。古き良き日本の囲炉裏文化も(手軽な火鉢さえも)、既に途絶えかけています。電気が止まったら、多くの人がこごえちゃいますね。

2010/11/25

健康に良いフローリング

床を浮造りの杉板で仕上げてみました。ブラシのような物で擦って、硬い木目を浮き立たせた凹凸のある板材です。木の質感が強調されて、なかなか味わい深い素材です。傷や汚れも目立ちにくい。さらには、足裏を程よく刺激するので、健康にも良いらしい。ただし、伝統的な日本家屋で使われてきた材なので、今日の西洋式の生活には不向きな点もあるのです。家具がガタついてしまったり、掃除機をかけづらかったり。
室内では靴を脱ぐ日本で使われる一般的なフローリング材は、表面がコーティングされピカピカに仕上がっていますので、ちょっとしたキズでも気になります。一方、この浮造りならキズも味のうち、使うほどに味わいが増すでしょう。
さて、メリットorデメリット、どちらを採る?勇気を出して冒険(伝統を採用することが冒険か?)をしよう!ガタつく家具の脚にはビアマットでも敷けばいいじゃないですか。掃除機は使わずに、箒で掃いてから雑巾をかければいいじゃないですか。表面に薄っぺらな化粧を施したような仕上げより、素顔で勝負できる仕上げの方が好きなのです。

2010/11/20

最新技術はなぜ、300年前の名工を越えられないのだろう?

内田光子のソロコンサートに行ったつもりが、ヴィヴィアン・ハーグナーというヴァイオリニストとのデュオコンサートだったのです。
プログラムには4曲、モーツアルトK304、バルトークSz117、バッハBWV1001、ブラームスOP78、と記されている。一曲目のモーツアルトは内田がリードしながらの2人演奏。時折大きく足を広げて力強く鍵盤を叩く姿は、形式に囚われることなく、独自の音楽解釈を続ける内田らしくてイカシテます。ところが、1曲目が終わると内田がステージから降りてしまったのです。あれ?と思っているとヴァイオリンソロがスタート。これが結構良いのでOK。しかし3曲目のヴァイオリンソロでやや飽きる。結局、内田は最初の一曲だけだったのかと思っていたら、最後の曲になって嬉しい再登場。このブラームスも良い。
このコンサートは、チャリティーコンサートだったので、感違いがありながらも、大らかな気持ちなれるのです。演奏者2人もノーギャラでの出演ですから、文句なんて言えません。偉い!黄色いTシャツを着て涙を安売りしている偽善芸能人とは大違い。
今回使われたヴァイオリンは、サセルノという名のついた1717年製のストラディヴァリウス。300年前の楽器(プロダクト)が、未だに第一線の現場で使われているというのは、ものすごく稀有な例なのです。コレクションとして珍重されているプロダクトは多くありますが、現代においても最高の道具として活躍しているのですから驚きです。
現代技術は何故300年も前の名工アントニオ・ストラディヴァディを超えられないのだろう、道具は遙かに進歩しているはずなのに?人の手が道具の進歩以上に退化してしまったのか?木の状態が古ければ古い程良いということか?それとも、ブランド力に耳が騙されてしまうのか?

2010/11/13

優しい岩魚

源泉に枡を据え付け、砂利、小石、大石の順に入れ、ストレーナーを固定する。ストレーナーにパイプを繋ぎ込み、小川に沿って這わせる(100メートルのパイプを2本ジョイントし、200メートル下方まで。これが重いのです。)。ブロック基礎の上に貯水タンクを据え付け、パイプを繋ぎ込む。と、清水が勢い良く注ぎ込まれ、600リットルタンクがあっという間にパンパンに膨れ上がる。慌てて蓋を外すと、間欠泉のような水柱がそびえ立ち、びしょびしょ。しかしながら、石油を掘り当てたような喜びなのです。
次は、貯水タンクから建物内までの引き込み作業。水が凍らないよう、凍結深度(水の凍らない地中の深さ)50センチ以上の溝を掘る。大きな石がゴロゴロと埋まっているので、鍬では歯が立たない。ツルハシを用意して石をも砕いてゆく。気分は炭鉱夫、もしくは西側への亡命者(先日観た映画「トンネル」をイメージしつつ)。50メートルの溝を掘り終えたらパイプを埋設する。建物の手前で分岐させて屋外水栓を設置し、もう一方は給湯機へ。最後にこのパイプと貯水タンクとを繋ごうとしたら接合部から水漏れがある。力尽くでねじ込んだら破損してしまたのです。がっかり。
力も尽きてしょげていると、すぐ横の小川でピチャピチャと音がする。なんだろう、川辺の小枝が揺れているのかな?と思って目をやると、水量の減った浅瀬で大きな岩魚が跳ねている。手づかみ。
今夜のおかずにしようかなと思ったのですが、思い直して庭にある自然池に放ってやることにしたのです。しょげている姿を見て慰めに来てくれたような気がしたので。

2010/11/07

蛇口を捻るだけでは何も出てこない

生きる為の水、寛ぎの湯、を手に入れる為に、まずは給湯器の据え付け作業。
水源から引き込む水を給湯器に入れ、沸かしたお湯を室内へ供給するのです。つまり、繋ぐ水道管は2本。
湯を沸かす為のエネルギー源は、200Vと100V。繋ぐ電線は2本。そして、リモコン用の線が1本。凍結防止ヒーターも忘れずに。
あとは、基礎にアンカーでしっかりと固定するだけ。
給湯器の設置は終わりましたが、まだお湯は手に入りません。それにはまず水を確保しなくてはならないのです。約250M山手にある水源から清らかな湧水を引き込む予定なので、もう一苦労です。
松下幸之助は水道哲学と称して、安易に得られる利便性を追求したが、これが何も出来ない日本人、DIYの苦手な日本人、簡単に物を捨てる日本人、を育てたのではないでしょうか?戦後の日本経済を支えてきた使い捨て家電文化の弊害。
この世には、何でも出てくる魔法の蛇口など存在しないのです。便利な物やサーヴィスの背景には、様々な労力と資源が投入されているのです。

2010/10/24

人面鳥との遭遇

床下に潜りこんで配線作業。このような見えない場所の作業を、自分の手で行う事は大切だと思うのです。見えないだけに、工事業者に愛情と美意識を持った作業を期待することは出来ませんから。暗くて狭い床下で、探検隊気分に浸りながらの作業です。新築中だけに予期せぬ生物と遭遇することは無く、ちょいと物足りません。
ところが、日が暮れて片付けをしていると、バサバサと大きな鳥(広げた羽は1.5Mはあったでしょうか)が虫達の飛び交う作業灯の前を横切ったのです。驚きながらも目で追うと、近くの木に留まったその鳥には、人間の顔がついているです。大きな顔で瞬きもせずにこちらを見るのです。人面鳥!公家のように平たい白い顔。口元に虫の羽。
なんだか、つまらぬ苦労が吹き飛んだような
気がします。

2010/10/17

崖を登るor金で買う

天然松茸を収穫(山中でなく隣人宅にて)!今回は同行を逃がしたが、秘密の採取場所は、崖斜面をいくつも越えた危険な山奥にあるという。途中、熊や猪に出くわすことも珍しくない、道なきサバイバル登山。ハイテクグッズで身を固めた流行りの山ガール&ボーイとは大いに違うのです。
この日本で最も珍重されるキノコは、香り、味、歯応え、さすがに最強である。まずは、松茸ご飯にしてみた。松茸の汚れを、筆で丁寧に落とす。もち米(新米)に塩と酒を少々、裂いた松茸を入れて、土鍋で炊く。それだけ。出汁や醤油等を入れて松茸の風味を濁してはいけない。艶やかな白い米に松茸のページュ色が点在している様がいい。これを日本酒(清らかな辛口がいい)と共に頂く。
今晩は焼き松茸、明日は土瓶蒸し。

2010/10/16

メンテナンスの必要なプロダクト(=使い捨てじゃないプロダクト)

檜&杉板が混在する素地表し仕上げの軒下、破風板、に防腐塗料を塗布。上向きでの作業なので、首の筋肉が鍛えられます。
浸透性の塗料の吸い込み具合は、板毎に大きく違います。均一でない自然素材の個性を感じて気持ちいいのです。硬くて、油分があって、ちっとも塗料が浸透しない赤い板、これは耐久性の高い信頼出来る板なのです。一方、やわらかくて、きれいな、いくらでも塗料を吸い込む白い板、こいつらには、たっぷりと塗料を吸わせてやらないといけません。節抜けがあれば、虫が住み着かぬようパテで埋めてやります。板の個性を感じながら、一枚一枚塗料を塗っているとあっという間に日が暮れてしまうのです。
新建材を使ったハウスメーカーの家が主流の日本では、家のペンキ塗りを自分でするという習慣はありません(海外では良く見かける日常風景なのに)。家の状態を把握し、家に対して愛着が湧いてくる、ペンキ塗りのようなメンテナンス作業を自ら行うことは、とても大切だと思うのです。メンテナンス、修理を繰り返し、大切に使われた家は、古くなっても味わい深いものです。
フリーメンテナンス(メンテナンス不要=壊れたら買い換え)という近年の量産製品にみられる概念には共感出来ないのです。

2010/10/11

柳茸は倒木味(ややゆる)

倒れた柳の木に出るこのキノコ、柳茸というらしい。10-15cm程の大きさで、なめこのようにニュルっとしている。オレンジ色の丸みを帯びた傘に斑点という容姿は、よく絵本で見かける典型的なキノコの姿である。きのこ図鑑、インターネット、地元の老人、をあたって毒性の無い事を確認。
まずは焼いて醤油で食べてみる、繊細というよりは倒木の味、だが肉厚で旨い。天婦羅にして塩で食べてみる、ややシットリとしてしまう。天婦羅を出汁で食べてみる、やや胞子っぽい(粉っぽいのとはちょっと違い、胞子っぽいのである)。味噌汁に入れてみる、大味で巨大なナメコ、繊細さは無い。
「柳茸: 香り無し、倒木の味、肉厚、柔らか、ややニュル、胞子っぽい、可食(ややゆる)。」と記録。味噌煮込みうどんや豚汁等の大味な料理にあいそうである。
翌朝、便がゆるかった(Sorry Ladys!)が柳茸のせいかどうかは定かでない。

2010/10/07

廃れない理由

大工作業用に足袋を新調したのです。甲の辺りまでラバーコーティングが施されており指先が補強されている、多少の防水性があり丈夫そうな足袋を選んだのです。黒と紺のコンビネーションも気に入ったのです。
ところが、棟梁曰く、これはどうやら土の上を歩く農家用の足袋だそうです。確かに、棟梁は白い清潔な足袋を履いているのだが、自慢げな話を聞くと、その足袋はソールにエアーが入っていて、アスファルトを歩いても疲れない、本来は祭り用の足袋だという?
足袋は、コハゼという爪型の金物で止める。これが慣れないと結構、面倒なのです。なんで、今時こんな面倒な仕様のままなのかと棟梁に問うと、今度は納得の回答。コハゼには、爪を差し込むスリットが3列並んでいて、この列を変えることによって締め付け具合を調整出来るのです。紐よりも容易で、ジッパーにはない調節機能を持ち、ベルクロより古くから愛用されている、優れたローテク留め具であったのです。

2010/09/29

硬派な技術者と軟派なデザイナー

土台組み完了。
防腐剤をたっぷりと加圧注入(アンカー穴をあけると液体が滲み出てくる)された材は、とにかく重い。大工泣かせ(施主喜ばせ)なのです。
土台の下には、水平レベル調整用の可動スペーサーを挟み入れて高さを微調整します。なんて便利なのでしょう。
技術者によって開発された高機能プロダクトには大きな存在意義があるものです。

2010/09/20

季節外れのお楽しみ

野菜の収穫時期は年に一度だけ。収穫した野菜を一年間楽しむには工夫が必要なのです。スーパーで季節外れの野菜を買うという発想を捨てると、もう死活問題なのです。
ズッキーニと茄子を乾燥してみました。乾燥するとペラッペラのポテトチップスのような状態になるのです。水分が抜け、味がギュッと濃縮されているのでしょう。冬場になったら、オリーブオイルで戻して、塩胡椒、バルサミコ酢をちょいとたらせばきっと旨い、と想像しているのです。

2010/09/12

技術進歩と反比例して人は退化してゆく

プレカット材が現場近くに到着。こいつを小分けして山中の現場まで運び込んだのです。
重機というのはなんと頼もしいのだろう。肉体労働のイメージの強い建築現場ですが、人力頼りの作業というものは、もうほとんど行われていないようです。便利さ(楽をすること)を一度知ってしまうともう後戻りは出来ないものです。

2010/09/11

職人は明快

屋根の仕様を検討しに屋根屋の作業場を訪れたのです。
折り方をいくつか試作してもらいながら、雨仕舞い、雪落ち、伸縮変形、耐久性、見えががり、等を検討したのです。結局は至ってシンプルな仕様が合理的であるということを確認して、決定。素材は、安価なガルバリウム鋼板。
作業場へ足を運び、熟練職人と直接話しをすることは大好きなのです。こちらの疑問への明快な回答をその場で得ることができるのです。
一方、間に中途半端な営業やコーディネーターと呼ばれる人間が介在すると、概して曖昧な回答しか得ることが出来ず、ささいな事を複雑化されてしまうことが多いのです。

2010/09/05

木の上の小熊はとても可愛い

ベタ基礎が完成しました。が、その話は置いておいて、
湧水を引き込む予定なので、水源を確認しに裏山に入ったところ、真黒な毛並みの美しい熊の親子に出会ったのです。小熊が木に登り、親熊が下から支えるようにしている、仲の良い熊の親子です。
初めて遭遇した野生の熊に、現実感が全く湧かず、なんだかワクワクしてしばらく観察でもしていようかなと思ったその瞬間、親熊がこちらを振り返ったのです。目と目が合った途端、急に我に返り、一目散に、斜面を転がり落ちるように、しかし音を立てぬよう静かに(まるで忍者のように)逃げたのです。後ろを振り返る余裕はありませんでしたが、どうやら
熊は追いかけては来なかったようです。
現実に還った今、あの瞬間を思い出すだけで、しょんべん(Sorry Ladys!)をちびりそうになるのです。

2010/09/01

線から面に

基礎工事の為の整地作業を行っていたら水が湧いてきたのです。この湧水を利用して、家の周りを池にして岩魚や山女を飼おうと思うのです。夏は暖気を冷やし、冬には雪を溶かし、とても機能的な池となるでしょう。
だが、喜んでばかりもいられないのです。地盤が水により軟くなる可能性があるので、しっかりとした基礎を作らねばなりません。布基礎で予定していたものを、しっかりとしたベタ基礎に変更です。

2010/08/28

自然との共生(闘い)

今年はトウモロコシが豊作だったのです。
トウモロコシは、収穫した瞬間からどんどん味が落ちてしまうので、直ぐに食べてしまうのが一番。茹でて、蒸して、焼いて、飽きるほど食べたら、実をほぐして冷凍保存。冷凍庫が一杯になってしまったので、残りは軒下に吊るして乾燥保存をすることにしたのです。普通のトウモロコシでは乾燥してもポップコーンにはならないそうだが、どう違うのかを試してみよう。後は、粉にして食べることにしよう。
2~3週間が経過し、いい具合に実が硬くなってきたと思っていたら、屋根の上でガタガタとうるさい音がする。何事かと思い窓を開けると、猿の後ろ姿。足元には綺麗に実の無くなったトウモロコシの芯が落ちている。大切な冬場の食糧を失ってしまったのです。
この借りは必ず返してやる!芸を仕込んで猿回し?高所の実を獲らせる?食べちゃう?

2010/08/21

常識は疑ってみる

近頃ではあまり見かけなくなった黄色いスイカをもらったのです。
子供の頃には、その珍しさを喜んだものですが、大人になっては違和感のある色にどうも食欲がそそられない。着色シロップのかかったカキ氷を連想してしまうのです。
しかしである。スイカの原種は実は黄色だというのです。瓜の仲間であることを思えば、確かに黄色であることに頷ける。カボチャもトウガンもメロンもキュウリも、すべて緑色~黄色系。
これに納得すると、今度は赤色のスイカに違和感を憶えるようになってしまったのです。
人の感覚というものは、常識や習慣等というつまらぬ刷込みによって形成されているものです。

2010/08/10

本来の意味は次第に失われ、表面的な形だけが継承されてゆく

暑い夏には川辺で涼をとる。水音、虫の音を聞きながら、木陰で川風に吹かれているととても涼しいのです。
そんな夏の涼を楽しむ為に、毎年必ず簗を訪れるのです。地元の鼻曲り鮎(さすがに目の前での簗漁はもう行われていない)を、焼職人が遠火で時間をかけ焼き上げる。泳いでいる鮎がそのままの姿勢で固まったようなその形状は、食べるのがもったいないほどに美しい。
あれ?川辺にある畳敷きの簗で鮎を楽しみながらふと気付いた。そういえば、以前は席に着くと配られていた団扇が無い。あの団扇を仰ぐのもまた夏の情緒があったというのに。
うわ!近年改修されたこの簗には、エアコンが効いていた。

2010/07/30

休閑施設の有効活用*場当たりデザイン*

夏のスキー場は、牧場や花畑、キャンプ場等として有効活用されていることが良くあります。
先日訪れたスキー場では、さらに細やかな有効活用が行われていて感心したのです。
まず、止まっているリフト乗り場は屋根付きの車庫として利用。→ 車を入れるのに邪魔になるので、乗り場内にあるチェア2つはリフトから外して、外へ移設。→ 移設されたチェアは、前後に揺れる快適な休憩用のベンチとして利用。
シーズンオフで使用されていない設備が、本来の目的とは異なる役割を、実に自然に連携して担っているのです。
場当たり的な雰囲気もまた素敵です。

2010/07/19

小さな蛇と大きなミミズ

足元の潰れた蛇?大ミミズ?に気付き、大声を出して飛びのいてしまったのである。
よくよく見ると蛇にしては小さい。だがミミズにしては大きいのである。ミミズかな?と思うと近づくことが出来る。だが、やはり蛇だろ?
と思うと足が竦んでしまう。人の感情というものは、先入観によって随分と左右されるものである。
改めて写真をじっくり見直すと、全長約15センチのひょろ長いあいつは、やはり蛇であったようである。目や口は確認出来ないが、しっぽが細くなっているからきっと蛇である。いや、しっぽが細く変形したミミズという可能性はないのか?

2010/07/15

るてるて坊主

昨年秋に植えたにんにくをようやく収穫。秋に土に埋めて、芽が出て育ってきたと思ったら、雪に埋もれて冬を越し、春にはもう一段階葉が成長して、その葉が枯れ始めて、枯れ切ってからようやく収穫である。
収穫したにんにくは軒下に吊るして乾燥させてやる。その様は、髪の伸びた、てるてる坊主が逆さにぶら下がっているようである。しかも髪の毛は梅雨の湿気で縮れてしまっている。これでは、雨が止むはずはない。今年の雨量が多いのは、こいつのせいか?もしかして、にんにくを干すと雨が降る?

2010/07/11

与作の孫

林業会でも後継者不足が深刻化しているという話を聞くが、機械化が進む今日では問題はそれ程深刻には見えないのです。大前提として、機械の持ち込めるところしか切り出しは行わない。しかも、現場での手仕事は殆どなく、機械がほとんどの仕事を行う。木こりが斧で木を倒し、一本ずつ山から引き出すなんてことはもう無いのだから、人力はほとんど必要ないのです。
今回、大活躍してくれたのがこのTIMBERJACKという名の重機。切り倒された木を掴み、横枝を落とし、丸太を設定寸法に正確にカットする、という一連の作業をこの手の中で一気に行ってしまうのである。これぞ神の手、それとも孫の手?
世間では玩具のような小型の人型ロボットばかりが取沙汰されるが、おいらは人が乗り込み操縦するロボット(モビルスーツ)に心躍るのである。ガンダムのプラモデルを買いに走った(でも買えなかった)子供時代の血が騒ぐのである。

2010/07/05

うめー

今年もまた恒例の梅の収穫期がやってきたのである。
今年の梅干しは、塩分をかなり控えて作ってみようと思うのです。冷蔵保存を前提とすれば、ほとんど塩は使わなくてもいけるであろう。梅干しは体にいいと言われるが、あの高塩分はどう考えても毒だと思うのです。なので毒は控えます。
今年の梅酒は、スパイス等での香り付けはせず、普通の焼酎を使い、素朴に仕上げることにします。
今年の梅ジャムは、砂糖をほとんど加えずに、かなり酸っぱめに仕上げることにします。
あと、今年は梅の醤油漬けを作ってみようと思います。梅をご飯と一緒に食べて良し、梅エキスの染み出た醤油を冷奴等にかけても良し。こいつは結構重宝するんじゃないかと期待しているのです。うまくいけば我が家の食卓の定番入りです。

2010/07/03

刈払機は腰で回す

ちょっと油断した隙に、雑草が胸丈まで伸び、種をつけ始めてしまったので、大慌てで刈払機を新調。
悩んだ挙句、ホンダの4ストローク刈払機を入手したのである。静かで低燃費、混合ガソリンを作る必要もなく、シャフトが長い(おいらは背が高い)というのでこの機種に決めたのである。エンジンを回すとさすがに静か、だが刃を回転させるとそれなりにうるさく、ちょいとがっかり。
草むらに隠れている石ころや倒木が危ないのである。ガキュイーンという甲高い音と共に、刈払機が跳ね返ってくる。
草むらに隠れている蛇が怖いのである。グギュイーンという鈍い音と共に、切断された蛇がのたうちまわりながら飛んでくる。
今日は約一時間で一反を刈り、腹周りが程良い筋肉痛である。近頃緩んできた腹周りの引き締めに丁度良さそうである。草刈り作業は、金魚運動ってのによく似た動きなのである。

2010/07/02

案山子の肩にカラスが止まる

大きな畑の真中に傘をさした脚立があったのである。ちょっと違和感を覚えたので凝視してみた。
脚立の中央に黒い物体がぶら下がっている。カメラを望遠にして覗いてみると、なんとカラスが首を吊っているのである。羽根のリアルさ、顔の干乾び加減、本物に違いない。カラスが自殺したのか?それとも他殺か?傘の下には拡声器のようなものが付いている。
聞くところによると、これは効果抜群のカラス除け案山子だという。何でも節操なく食べるカラスだが、仲間の死体にだけは近寄らないらしい。

2010/06/28

ズッキーニのリゾット(ブルーノ・ムナーリ風)を作る途中

ズッキーニは胡瓜のような形をしているので、瓜科の植物であり蔓を伸ばして育つものと思い込んでいたが、どうも違うらしい。
幹が長く延びる気配は全く無く、その場でどんどんと葉を大きくしてゆくのである。ズッキーニの実は株元付近に次々と生る。
順調に実が生り、花を咲かせ、後は実がグングンと大きくなるものと待つのだが、これが期待通りに育たないのである。5-10センチの長さに育つと、グジュグジュと柔らかくなってきてしまうのである。毎回ガッカリ。
原因はなんなのだろう?受粉がしっかりされていないのだろうか?まずは、雄花と雌花を見極めて手でしっかりと受粉させてみよう。
梅雨の湿気が原因か?大きな葉を少し落として通気性を高めてみようか?

2010/06/22

掘り出された根はちょっと恥ずかしげ

落葉松の根をユンボで抜いてみた。予想通りに大きいのである。とても人力では動かせない。しかも松脂でベタベタ。
こいつが200本以上あるのですから、困ったのです。どうしましょう?積み上げたらかなり大きな山になりそうである。
地中にあるべき根が地上に掘り上げられた様相は、殻を外されたエスカルゴのようであり、浜辺に打ち上げられたクラゲのようであり、祭りの後のナマハゲの面のようでもある。

2010/06/19

日本の松や杉の木はタダ

思い切って落葉松の人工林を全て伐採したのである。土地は一気に開け、日が差し込み、爽快な解放感である。ここに、こつこつと様々な樹種の苗木を植えてゆき、感じのいい雑木林に再生させようと思っているのである。何十年もかかる大仕事になりそうである。
相当量の落葉松があったので、業者に伐採を頼んだのだが、引き取り価格は0円である。50-60年もかけて育った高さ20-30mの原木数百本が0円。この現状には驚きである。(決して足元を見られたわけでもないようなのである。)日本では杉や松の原木はただ同然、下手したら引き取り代をとられるような状況だそうである。
ではなぜ、輸入材より国産材が高いのか?原木をただ同然で仕入れているのに国産材は高い。海外の業者が原木を仕入れ、切り出し、製材し、わざわざ日本まで運んできた方がよっぽど安いというのだから驚きである。
どうも、日本の林業界の政策は解せないことだらけなのである。林業再生の為には巨額の国費が投じられていながらも、彼らは貴重な広葉樹の自然林を伐採し、有り余っている針葉樹を植樹して人工林に変えてきた。
針葉樹の間伐材利用がエコだとうたわれるが、問題の本質はそんな表面的な場所には無いと思うのである。そもそも、長い年月をかけてバランスを保っていた自然林を、何故、間伐の必要な人工林に変えてしまう必要があるのだろうか?それによって一体誰が利益を得てきたのであろうか??少なくとも我々一般市民には何の利益もない。逆に、不快な花粉症で悩まされる人々が急増しているのである。

2010/06/17

じゃが芋4畝土寄せ、ミミズ6匹殺害

この頃、じゃが芋がグングン伸びるのです。伸びる度に土寄せ(良い芋を実らせる為に土を盛ってやる)をするのですが、今年はもう4度の土寄せをし畝高50cm以上に達したのである。このペースだと収穫までには1m近い畝高になってしまうでしょう。そうなっては、畑仕事というより、土方仕事、をしているような絵なのです。
葉ばかりが養分を吸収した為に肝心の芋が小さい、なんてオチにならないことを願いたい。こいつは冬場の大切な保存食なのです。

2010/06/14

開拓者達の余興

週末は渋谷SOFTの十周年記念パーティーが行われたのである。この店、エアコンディションド、エル・ウルティモ・グリート、ジャム、を招いてインテリアデザインを行った店なのである。知る人ぞ知る東京の新鋭デザインバーであったこの店も、10年経つといい感じの風格が出てきた。10年の間には、インテリアデザインも微修正を繰り返されて来たが、基本コンセプトは変わらずに当時のまま残されているのである。「スケール及び目線の操作による、感情の刺激」がオリジナルデザインコンセプト。
この日は、東京のクラブシーン創世記を支えた大御所DJ陣(ミュージシャン)、中西俊夫、立花ハジメ、高木完、の3ショットDJが実現。立花ハジメ氏のDJ姿なんて初めてお目に掛ったが、ナイーブな表情をしていると思いきや、突如のマイクパフォーマンス。これには、観客茫然。さすが?である。
しかし、都会は疲れていけない。山に癒してもらおう。

2010/06/05

メーキャップ(偽装)住宅

おかしな家(お菓子の家ならいいのだが)があるものである。
一見、バルコニー付きのログハウスなのだが、横に回り込むと何かおかしい。突如プレハブの倉庫が現れるのです。よくみるとプレハブの倉庫が重たげな仮面を着けているのです。
正面にだけに、タイルを張ったりして化粧を施した建築物を都会では良く見かける。両脇を他の建物に挟まれて立っているので、それ程目立たない。いや、見慣れているから違和感を感じないだけだろう。
これと同じ発想のもとに建てられた家(別荘?)であろうが、山の中では大いなる違和感を発している。
自然の中では、濃い化粧をバッチリ決めた女性の薄っぺらさが際立つ、のと同じである。

2010/06/04

生存率5%以下

林檎の花見をつい先日にしたと思ったら、あっという間に花は落ち、実が膨らんできた。既にさくらんぼ大である。
蜜蜂がせっせと働いてくれたおかげで、なかなか良い結実具合である。さて、そろそろ摘果作業の開始である。ああ忙し。
林檎ってのは一つの蕾から5つの花が咲き実を結ぶ、まずはその中の一番元気な実を残し、4つの実を落とす。さらに、残した実の中での選別を行い、一枝につく実の数を1/4程度まで減らす。この一連の摘果作業により、およそ1/20(1/5×1/4)にまで実の数を減らしてやるのである。また既に花のつく前の段階で、一割程度の枝を落としている。ここまでしてやらないとスーパーに並ぶ林檎の大きさには育たないのである。
なんて不自然な果物を我々は食べているのだろう?全ての食物は、人間が作り易いように、食べやすいように、改良(奇形化)されてきたという現実に直面し、しばし考えてみたりするのである。うちの林檎は小さく沢山実
らせてみようか?

2010/05/22

織タグ赤糸サイズ表示のGQ1半袖Uネック

グンゼの肌着(GQ1半袖Uネック)を長らく愛用しているのである。肌触り、シルエット、耐久性、縫製、全てにおいて完成されたプロダクトである。米国のHanes, Fruits, Miller 等とはレベル違いの高クオリティであり、BVDには欠ける情緒があるのです。
質が高いだけに穴が開いたり生地が伸びきってしまうことも無いので、我が家のクローゼットにはいい具合にへタレて味わいを増したGQ1(と快適工房)が大量に詰っているのである。どれも一見同じように見えるのですが、製造時期によって生産国やタグが異なるとこにまた愛着が湧くのです。国産の織タグ、タイ産の生地にダイレクトプリントしたもの、タイ産のプリントタグ、中国産のプリントタグ(現行仕様)、とタグの変遷を見ながらグロバリズムについて考えてみたりするのです。近頃は、快適工房というGQ1と同シルエットながら国産に拘ったシリーズを愛用し、反グロバリズムの意志表示を小さくしてみたりしているのである。

2010/05/20

わさびをかじっても辛くない

庭の小川に自生している山葵の葉が青々と茂ってきて、食べ頃である。根は岩魚の刺身の時くらいしか獲らないことにしている(根絶しないよう気を配っているのである)が、この葉は遠慮無く頂く。ピリリと爽やかな辛さがあって旨い。バジルのような感覚で様々な料理に使えるのです。
ところで山葵の根ってのは不思議なもので、そのままかじっても辛みが無い。細かくおろして初めて辛くなるのである。なんでも細胞を細かく磨り潰すことによって辛み成分が出てくるのだそうである。
この原理を応用して、食べ方によって全く味の変わる人工食品を開発出来ないだろうか?シャブシャブだとさっぱりポン酢味で、ミンチにするとこってりソース味に変わる、合成肉とか。冷たいと甘口で、温めると辛口に変わる、親子のカレーとか、、、

2010/05/11

竹の持つ可能性(装飾品としてでない)

知り合いの山から竹を少々分けてもらったのです。こいつでまずは、豆や胡瓜の支柱を作ろうと思うである。
竹というのは、木と草の中間にあるような不思議な植物なのである。筍の状態の時にある節の数が、そのまま竹の節の数になるという話は有名だ。つまり、それぞれの節の間が成長してゆくから、その成長速度は驚くほどに早いそうだ。節が20あれば、普通の植物の20倍のスピードで成長するということになる。凄い。
用途だって色々。昔から、例を挙げきれぬ程に様々な用途に使われてきた。食材として、容器として、構造材として、編物素材として、、、。とても有用な自然資源なのである。さあ、何を作ろうか。
そういえば以前に、隈研吾氏の「竹の家」の竹の中には鉄筋が仕込まれているという話を聞いて落胆した覚えがある。外見は、吉永小百合のCMに相応しく美しいのですが。

2010/05/09

来年は自家製サイダー(リンゴ酒)で

リンゴの花が開き始めた。かわいらしい花を愛でながらリンゴ酒(残念ながら自家製では無い)をちょいと一杯。ふと気付くと、「りんご追分」をつい口ずさんでいる。
日本人は、桜にばかりこじつけて酒(大抵缶ビール)
を飲むが、真に花を楽しむ気持ちがあれば、美しい花は他に幾らでもあるのである。梅(&梅酒)で始まった今年の花見は、第2弾が桜(&桜酒)
、第3弾が桃(&桃酒)、そして第4弾がこのリンゴなのである。花見シーズンはまだまだ続く。
さて、来週からはリンゴの花摘み開始である。美味しい実を成らせるには、そして旨いサイダー(日本では気取って「シードル」と呼ばれるが、あえて素朴に「サイダー」と呼びたい。「チョコ」を「ショコラ」と呼ぶような伊達男にはなれないのである。)を作るには、せっせと花を摘んでやらなくてはならないのです。

2010/05/03

ゴールデンウィークは一家総出で農作業

ようやく暖かくなってきたので、「せっつぁば」を耕し、畝を起こして、芋を植えたのである。
まずは、じゃが芋達。インカの芽生えを半畝、メークイーンを一畝、男爵を一畝。種イモを2-3等分に切り、高さ10cm程度の畝に30cm程の間隔で植える。鶏糞、菜種粕、堆肥を入れて埋めれば良し。
次にさつま芋を一畝。こいつはちょいと手が掛る。藁を敷き、米ぬかをたっぷりとかけてから、土を盛って30cm程の畝を立て、マルチ(除草、保温、保湿の為に畝に被せるカバー)を掛ける。これでしばらく置いておくと、藁によって畑の窒素分が吸収されて、さつま芋に適した土になるのである。今日はここまで、苗は後日植える。
最後に里芋も一畝。こいつは丸のまま植える。あとはじゃが芋と同じ要領で埋めてから、最後にマルチを掛けてやる。里芋は他の芋より水分を必要とするので、マルチを被せて保湿してやる。
ゴールデンウィークというのは、農業にとっては大忙しの一週間なのである。会社務めをしている若夫婦も帰省し、爺さんから孫まで三世代総出で農作業なんて風景は微笑ましいものである
。子供には土まみれの服が良く似合う。悠長に旅行なんて楽しんでいては、スーパーで農薬タップリの野菜を買うはめになってしまうのです。

2010/04/27

大切にしよう、感謝しよう、恩返しをしよう

デザイニングというローカルデザインイベントの一環で行われた公開トークへの出演の為に、久々に福岡を訪れたのである。このトークの中で主にハプニング(1990年代にエアコンディションというユニットが東京を舞台に行った伝説的なデザインイベント)について語り合った。あれは日本のデザインシーンに一石を投じたイベントであったことを再認識。
旅のついでにバイトリコ福岡でワークショップを行ってきたのである。「Make it up!(ありがとう)」 と題したこのワークショップは、壊れてしまった愛用品へ、そして負担を与えた環境へ、感謝の気持ちを態度で示そうという内容のもの。「カーボンオフセット」という考え方に「気持ち」を添えた、小さな環境改善活動なのである。参加者の方々の笑顔、真剣な眼差し。これは継続すべき活動であることを感じたのである。このワークショップ(小さな活動)についての全容は、近日ウェブ上で公開したいと思っています。現在、東京開催を計画中なのです。

2010/04/15

ピンクのバナナ

今年の花見シーズンにも多く見かけたが、あのテキヤというスタイルの路上食品販売業ってのはどうにも腑に落ちないのである。
チンピラ風ファッションで決めた若者達が、どう見ても不衛生に食品を扱っているように見えるのである。バケツに汲んだ水は食材の洗浄と手洗い器を兼ね、汚れたエプロンがタオル代わり、食材は豪快に手掴み、ってのが基本調理マナーである。時には、食品を扱う手でタバコを吸い、バケツの水をちょいと食品に加えたりする。何故、食品衛生法に引っかからないのだろう?
またどういう理由からか、ミッキーマウスやドラえもん、アンパンマン、キティちゃん、といった有名キャラクター(何故か手書きで描かれていることが多い)を装飾やモチーフに使った店も多い。何故、著作権法に引っかからないのだろう?
それ以上に疑問に思うのは、こんなテキヤで売られる食べ物(着色料たっぷりのカラフルで美しい食べ物だと尚ひどい)を子供に買い与える、優しい親の姿を良く見かけることである。

2010/04/10

自然から頂く幸せ

春一番の山菜、蕗の薹もそろそろ終わりです。限られた期間しか食べられないからこそ、美味しいのです。最後は、トマトと合わせてパスタにして食べ収めなのです。
これからは、こごめ、たらの芽、こしあぶら、山うど、わらび、ぜんまい、、、と山の幸が続々と登場します。イメージするだけで涎が垂れそうになるのです。天気をみながら、収穫のタイミングを逃さぬよう要注意です。
基本的には柔らかな若芽は、何でも食べられるので、今年はいろいろと試食をしてみようと思うのです。ただ、毒草だけは注意しなくてはなりません。怪しい植物は、参考書を見て選りわけるのです。それにしてもこの季節は、菜食志向の私にとっては最高に幸せな季節なのです。

2010/04/06

交配によって進化(退化)する

種蒔きシーズンの到来です。作付計画を考えるのは楽しいものです。どんな野菜を植えるか、同じ野菜の中でもどの品種にするか、悩みどころなのです。
現在我々が食している野菜達は、品種改良が重ねられてた末に作られたものです。育てやすいように、味がいいように。そこで、種選びに悩む(楽しむ)のです。種というものは、そのルーツ(血統)が結構しっかりと管理させているので面白いのです。どのような原種を、何処で、いつ、誰が改良を加えてきたか。概して原種に近い程、素朴な味がするのです。その素朴な味を旨いと感じるか、不味いと感じるかは、好み次第。
まずは、昨年採取した種を何種か蒔いたのです。自生え大玉トマト、信越水茄子、紫御前茄子、万願寺唐辛子、日光唐辛子。順調に発芽してきたので、そろそろポットへ植え替えてやるのです。

2010/04/01

屋外で自然を満喫するエゴイスト達

天気も上々であったので、上野の山を散歩に訪れたのである。桜の花は八分咲きで桜並道は多くの人々で賑わっていたのです。
ところが、頭上の桜を眺めながらしばらく歩くと、異様な光景が目に入ってきたのである。なんと両脇の桜の下の広大なスペースに綱が張り巡らされ、ブルーシートが敷き詰められていたのです。せっかくの桜並木の美しい風景が台無しにされているのです。
どうやら場所取りの為のブルーシートらしいのですが、そこに人はいないのです。団体名の記された書き置きが貼られているだけなのです。この場所とりの為に歩道スペースは狭められ、通路は混雑し、皆が窮屈に歩いているのです。もちろん腰を下ろして休憩する場所なんてありません。
皆が楽しみに訪れる公共の桜並木を、自分達の宴会をおこなう数時間の為だけに、永遠と占拠し続ける人々の利己主義には呆れます。そんな公共の迷惑も顧みない利己的な人々(その多くは大の企業人達)は、自分達の恥を晒していることに気付いていないのですから始末に負えません。ともすれば桜の下で宴会をすることで、自然派、エコ志向、なんて勘違いをしている大馬鹿者かもしれません。

2010/03/28

欲しいものは自分で作る

トルコでは林檎よりポピュラーな花梨、大好物なのである。なぜか日本ではあまり人気が無いようだが、あの硬い実の歯ごたえ、胸に詰まるようなバサバサ感が、癖になるのである。ということで、自分で作ることにした。
苗木を入手して植樹。自家受精する品種であるようだが、念のために林檎と梨の間に植えることにした。これで受精は確実であろう。あとは、樹形を調えながら結実まで5年間のんびりと待つのである。

2010/03/26

ファストプロダクト反対

春になると雪は柔らかく、汚れてくるので、毎回のクリーニング&ワックス作業が欠かせないのである。快適に楽しむためだけでなく、長く愛用するためにはどんな道具(プロダクト)だってメンテナンスをしっかり施してやらねばならないのです。気がつけば、この板にもう10年も乗っているのです。ソールの状態は良好、キャンバーもしっかり、エッジにも目立つダメージは無い、ので買い替える理由が見つからないのです。
手軽に物を買い、粗雑に扱い、不具合が出れば(もしくは単に流行りが過ぎれば)簡単に捨て、また新しく買う。なんてことが今の日本では平然と行われているのです。手に入れた物は大切に扱い、出来れば一生を共に生きたいと思うのです。物の耐久年数(寿命)は、人間の寿命(耐久年数)より長いことが多いのですから。

2010/03/20

オーガニックデザインの神髄はフォルムでなく機能性にある

残雪の間から、ザゼンソウがちらほらと顔を出し始めたのである。祠の中で、僧侶が座禅を組んでいるように見えることから命名されたこの座禅草、妖艶な水芭蕉のようでなかなか美しい。その美しさに加えて、この花は興味深い生態をもっているのである。早春の開花時に強い熱と臭いを発するのである。熱で雪を溶かして顔を出す。同時に強い臭いを放って虫をおびき寄せ、まだ虫の少ない雪解け時期の受粉を促進するのである。虫は雪間に顔を出した暖かな祠のなかで一休み。
自然とは、なんと理に適っている(機能的にデザインされている)のだろう。
しかしながらこのザゼンソウ、英語名では SKUNK CABBAGE と呼ばれるそうである。強い臭いがその名前の由来らしいが、幸いなことに我が家のザゼンソウ達は嫌な臭いはしない。清い水、清い土、で育つと臭いも清くなるのか?ザゼンソウとスカンクキャベツとでは、似て異なる品種なのか?日本人と欧米人との嗅覚の違いか?